Jリーガーで北朝鮮代表 梁勇基の夢は「南北がひとつに」

「南北がひとつになるということが一番の理想」と語る梁選手

2013.10.06 Sun posted at 17:20 JST

(CNN) 世界で最も秘密のベールに包まれた国のひとつ、北朝鮮。厳重に閉ざされた国境の行き来を許される人はほとんどいないが、Jリーグのベガルタ仙台に所属するMFの梁勇基(リャン・ヨンギ)選手は数少ない例外の1人だ。

大阪で生まれ、在日朝鮮人の両親に育てられた梁選手は31歳。ベガルタ仙台ではキャプテンも務めるが、北朝鮮のサッカー代表チームでプレーした経験も持つ。

日本と北朝鮮のサッカーファンから尊敬される梁選手は、根深い違いがあってもその垣根を取り払うことができるというスポーツ独特の力の象徴だ。

梁選手はCNNのインタビューで、「南北がひとつになるということが一番の理想。そうなれば、もっともっと国としても、あらゆる分野で発展していくと思う。スポーツ以外でもいろいろな可能性が広がるのではないか」と語った。

大阪朝鮮高級学校を卒業後、学業・スポーツともに優秀だった梁氏は阪南大学に進学。大学卒業後の2004年、当時2部にいたベガルタ仙台に入団する。

国際的に認められる選手になるのに時間はかからなかった。北朝鮮の代表メンバーに選ばれたのだ。05年にマカオで開催された東アジア競技大会では準決勝の韓国戦で得点を挙げるなど活躍した。

人生の一部であり、仕事でもあるサッカーに飽きることはないという

梁選手は、印象に残って再び代表に呼ばれようと猛烈にプレーしたという。実際に梁選手は、2010年のAFCチャレンジカップや南アフリカ・ワールド杯の際に代表に呼ばれている。

所属するベガルタ仙台は、梁選手の活躍もあり、ここ数年は優勝争いにも加わるようになった。

梁選手はベガルタに入団以来、主力の一人だが、2011年の東日本大震災以降、より一層ファンから愛される存在になった。

震災発生時に車を運転していた梁選手は、慌てて妻の元へ返り、その日は妊娠中の妻と一緒に車の中で一夜を過ごしたという。

震災後、梁選手やチームメートは支援のために被災地を頻繁に訪れた。ベガルタは11年、チームの過去最高となる4位でシーズンを終えている。そして、12年は優勝争いにもからみ、2位でフィニッシュした。

キャリアの円熟期を迎えつつある梁選手だが、引退について考えることはなく、サッカーに対する愛情も衰えることがないという。

手本としている選手について、スペイン1部リーグの名門バルセロナでプレーするアンドレス・イニエスタ選手や、Jリーグで選手として実績を残し現在は監督としても活躍しているドラガン・ストイコビッチ氏の名を挙げる。

リーダーシップについて尋ねると梁選手は、チームの中で大きな存在感を示さなければならないし、チームメートから信頼を得ることも必要だと力を込めた。

Jリーガー、梁勇基にインタビュー

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