日本・ブラジル文化の懸け橋 サンパウロの日系移民

リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている

2013.09.14 Sat posted at 09:00 JST

(CNN) ブラジル、サンパウロ市内のリベルダージ地区では、通りに神社の赤い鳥居が並び、日本語の広告を掲げるレストランやスーパーも多いため、まるで東京の繁華街を歩いているような気分になる。

リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている。

日本での貧困や失業から逃れ、1908年にブラジルにやって来た最初の日系移民たちは、奴隷制廃止後、深刻な肉体労働者不足に陥っていたブラジル南部のコーヒー農園に向かった。そこで彼らは、かつて奴隷たちが使っていた施設に住み、マラリアなどの治療法が分からない未知の病に悩まされ、全く異なる文化に適応しなければならなかった。

しかし、日系移民たちはそうした初期の困難を乗り越え、農業、文化、芸術など、あらゆる分野でブラジル社会に多大な貢献をしてきた。

今回、CNNは世代の異なる3人の日系移民の方々に、日本の伝統や自分が日本人であることがブラジルでの生活にどのように影響してきたかについて語ってもらった。

「自分は完全なるブラジル人」 上原幸啓教授

上原幸啓さん(85)は、9歳の時、第2次世界大戦の脅威が迫る日本を離れ、ブラジルにやってきた。

上原さんは幼い頃、昼間は綿畑で働き、午後は4キロ離れた学校に徒歩で通った。上原さんはポルトガル語が全く分からず、強い日本語訛りで話し出すと友達にからかわれた。その悔しさから、一生懸命勉強して1番になろうと決意したという。

現在、サンパウロ大学理工学部の名誉教授で世界的に有名な水理学エンジニアでもある上原さんは、国連教育科学文化機関(UNESCO)のブラジル代表を務める。また、ブラジルの大規模な水力発電ダムの建設にも携わった。

上原さんは、自分は完全なるブラジル人だと語る。幼い時にブラジルに渡ったので、ブラジルの文化にも容易に適応できたという。

リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている

「自分が日本人とは思えなかった」 リディア・ヤマシタさん

リディア・ヤマシタさん(63)は建築家で、サンパウロにある日本移民史料館の副館長を務める。ヤマシタさんはブラジル生まれだが、日本語しか話さない家庭で育った。

ヤマシタさんは、母親がポルトガル語を全く話さず、また家庭では極めて日本的な生活をしていたため、自分は完全な日本人だと思っていた。しかし東京都立大学に留学した際、自分の考え方は欧米流で、自分が日本人のルームメートたちと全く違うことに気付き、自分は日本人ではないと悟ったという。

「2つの文化の融合体」 ポーラ・キヨハラさん

日系ブラジル人3世で、ファッションを学ぶ学生のポーラ・キヨハラさん(27)は、自らを日本・ブラジル両文化の「融合体」と考えている。キヨハラさんは、気楽な性格はブラジル人で、先祖への敬意など、価値観や姿勢は日本人だという。

日本とブラジルの文化面での大きな違いの1つは、日本人は人の邪魔になることを嫌う点だとキヨハラさんは語る。例えば、キヨハラさんが自分の部屋で騒がしい音楽をかけていると、母親から隣人に迷惑なので音量を下げるように注意されるが、ブラジル人は隣人も音楽を楽しめるようにさらに音量を上げるのだという。

キヨハラさんは、日本の伝統や文化を大変誇りに思っているが、ブラジル人でいることが好きなので、ブラジルに来てくれた祖父母に感謝していると話す。

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