写真で見るデビッド・ボウイ展

97年のアルバム「アースリング」のジャケットでボウイが着た英国旗の衣装。ほかのジャケットとは違い、カメラに背を向けている

2013.03.28 Thu posted at 19:21 JST

 英ロック歌手デビッド・ボウイのデビュー当時からの衣装や写真、楽器など300点以上を初めて集めた回顧展が、ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館で今月から始まった

ボウイは1972年7月、この衣装を着けて英BBCの番組で見せた「スターマン」のパフォーマンスにより、全英での地位を確立した。ギターのミック・ロンソンとの絡みで「若者たちの導火線に火をつけた」といわれる
生後10カ月の写真。ボウイは47年、ロンドン南部のブリクストンで生まれ、53年にブロムリーへ。ここで通った学校で、ギタリストのピーター・フランプトンと出会う
10代前半のボウイはジョン・コルトレーンのジャズ音楽に傾倒。61年のクリスマスに父親からこのアルトサックスを贈られた。アクリル製のボディーで、価格は真鍮(しんちゅう)製の約半分だった
ビートルズやローリングストーンズといったバンドの人気に影響を受けて、ボウイもギターを始めた。最初の大ヒットとなった69年の「スペース・オディティ」では、この12弦ギターを弾いていた
ボウイを一躍有名にした「ジギー・スターダスト」の歌詞。宇宙から来たロックスターというキャラクターを演じる楽しさについて、ボウイは「ステージを離れた自分はロボットだが、ステージに上ると感情がよみがえる。だからデビッドよりジギーでいるのが好きだ」と話した。だがやがて、ジギー役に自分自身が脅かされるという感覚に陥り、「自分の正気を疑うようになった」という
72年の「ライフ・オン・マーズ」のプロモーション映像で着たアイスブルーのスーツ。日本風のアイシャドーで「ゲイシャ」のキャラクターを演出した
73年の「アラジン・セイン」ツアーのために、山本寛斎がデザインした衣装。ボウイは「私が求めるものをすべて備えた、奇抜で挑発的なステージ衣装だ」と絶賛した
73~74年に描いた、「ハンガー・シティ」を舞台とする映画の構想。ヒントになったのはジョージ・オーウェルの小説「1984年」で、ボウイはそのミュージカル化も目指していた。映画もミュージカルも実現しなかったが、アイデアの多くはアルバム「ダイアモンドの犬」の土台となった
ボウイの心身はコカイン中毒にむしばまれたが、創作活動が衰えることはなかった。ロサンゼルスで「ダイアモンドの犬」を収録する間、ボウイのポケットにはこのコカイン用スプーンが入っていた
コカイン中毒を克服するため、76年に拠点をベルリンへ。ブライアン・イーノとの音楽活動、歌手イギー・ポップとの共同生活を通したミニマリスト音楽への傾倒は、「ロウ」「英雄夢語り」「ロジャー」のベルリン三部作に現れた。ボウイがデザインした2作目のジャケットは、ドイツ表現主義の画家エーリッヒ・ヘッケルの影響を受けている
薬物中毒から抜け出そうと、ポップとともに14カ月間アパートにこもり、創作活動に打ち込んだ時期の作品
イーノがボウイに贈り、ベルリン三部作の収録に使われたシンセサイザー
80年の「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」のビデオでブルドーザーの前を歩いたボウイが、デザイナーにリクエストした「サーカスで最も美しいピエロ」の衣装。ビデオの制作費は25万ポンドと、当時の最高額を記録した
80年にブロードウェーなどで「エレファント・マン」に出演した時の衣装。パントマイムの技術を駆使して主人公ジョン・メリックの体を表現した
97年のアルバム「アースリング」のジャケットでボウイが着た英国旗の衣装。ほかのジャケットとは違い、カメラに背を向けている

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