ローマ法王の豪華な専用車 トラックからリムジンまで

法王専用車から降りるベネディクト16世=2月27日、サンピエトロ大広場

2013.03.18 Mon posted at 15:21 JST

ロンドン(CNN) 出身地アルゼンチンでの大司教時代も公共交通機関を利用していたことで知られる新ローマ法王のフランシスコ。13日にローマ法王に選ばれた後も、法王のために用意された専用車に乗ることを拒んでいる。

サンタマルタの公邸からシスティーナ礼拝堂への通勤には、「SCV1(バチカン市国1)」のナンバープレートが付いた専用車は利用せず、ほかの枢機卿たちと共にバスに乗る。

しかし、もしバチカンのバスでは公務をこなし切れなくなった場合でも、フランシスコ1世には素晴らしい法王専用車が用意されている。

ローマ法王が公用車を使うようになったのは、ピウス11世が1930年に使い始めたドイツのメルセデス・ベンツ製「ニュルブルク460プルマン」が最初だった。

同車は絹のじゅうたんを敷き詰め、天井張りにハトのモチーフをあしらった改造車。ピウス11世は車を使うというアイデアが気に入った様子で、バチカン市内で1時間にわたって同車を試乗した。その後も「300D」「600プルマン・ランドーレット」「300SEL」などのメルセデス車を乗り継いでいる。

法王専用車のナンバープレート。SCVは「バチカン市民の地位」を表すという

一方で、各国を訪問する際にはその国の車も使った。ポーランド出身のヨハネパウロ2世が1979年に祖国を初訪問した際は、ポーランドのメーカーFSCのトラックの改造車を利用。1982年のスペイン訪問では同国のメーカー、セアトの「パンダ」を改造したオープンカーを使い、同年の英国訪問では同国のメーカー、レイランド・モーターズのトラックに乗った。

1980年にはメルセデスが「230G」をベースとした特注車の製造に着手し、ヨハネパウロ2世のドイツ訪問に合わせて「ポープモービル」と名づけた専用車を完成させた。81年に起きた暗殺未遂事件の後は、防弾ガラスも装備された。

ベネディクト16世は2007年以来、主にメルセデスの「G500」か小型の「ML430SUV」を改造した専用車を使い、悪天候の場合などは「Gクラス」の改造車も使った。厚さ8ミリの防弾プレキシガラスは法王を悪天候から守る一方で、信者からは法王の姿がよく見える。しかしガラスに囲まれた車内は日が当たると温度が上がってしまうため、間もなく強力なエアコンが装備された。

側面と床と天井部分にはスポットライトが付いて直接的、間接的に法王を照らし、暗くなっても信者から姿が見える仕様になった。安全装備もさらに強化され、窓ガラスのほか車体側面と床も爆弾に耐えられる装甲が施された。

車内の照明で浮かび上がるベネディクト16世の姿=2009年12月

法王は後部のドアから乗車して、白に金の縁取りが付いた特注の革張り座席に座る。座席は油圧式でせり上がり、側近2人の姿は外からは見えにくい。前の席にはボディーガードと運転手が座る。

これだけの装備を施した現在のポープモバイルの価格は推定56万5000ドル(約5360万円)。法王を迎える国にとってはこの装備が負担になることもある。ヨハネパウロ2世が1995年に訪問したフィリピンは、地元メーカーのフランシスコ・モーターズが四輪駆動車をベースとしたポープモービルを製造。防弾装備などの費用は地元の信者の寄付でまかなった。

ヨハネパウロ2世が2005年に死去した際は、この車がフィリピンの教会に展示され、バチカンに行けない信者のための巡礼の場になった。

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