金正日総書記の一周忌で式典 正恩氏の1年を振り返る

北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書記(中央)

2012.12.18 Tue posted at 16:23 JST

ソウル(CNN) 北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が死去してから17日で1年。遺体が安置されている平壌の錦繍山太陽宮殿の前には、市民や兵士数万人が集まった。後継者、金正恩(キムジョンウン)第1書記のこの1年を振り返る。

正恩氏は出産間近とみられる李雪主(リソルチュ)夫人とともに、総書記や金日成(キムイルソン)主席の像に頭を下げ、崔竜海(チェリョンヘ)人民軍総政治局長の追悼演説に耳を傾けた。崔氏は総書記の業績をたたえた後、「金正恩氏は北朝鮮の運命であり、未来である」と宣言した。

金総書記が、過労による心臓発作が原因とされる死を遂げてから1年。その間にたくさんの出来事があった。正恩氏は父の死を悼む息子から、国際社会の反対を押し切ってロケット発射を指揮する指導者へと変わった。

昨年12月、20代の若さで突然脚光を浴びることになった正恩氏に対しては、当初準備不足を懸念する声もあった。しかし正恩氏は間もなく、正日氏とは異なる独自のスタイルを打ち出してきた。

取材陣に公開された北朝鮮の発射場=2012年4月

韓国・延世大学のジョン・デラリー助教は、金日成主席の死後数年間は儒教思想に従い控えめな立場を守った正日氏に対し、正恩氏は積極的に公の場に登場していると指摘する。

今年4月には、総書記が何年も前から準備を進めていた主席の生誕100周年がやってきた。正恩氏はこれに合わせてロケット発射を強行。長距離弾道ミサイルの発射実験だとする国際社会の非難を無視し、人工衛星の打ち上げだと主張する姿勢は、正日氏と共通していた。

発射は失敗に終わったが、正恩氏は100周年の祝賀行事を続け、就任後初の演説も行った。同氏の肉声が北朝鮮内外に初めて伝えられた。

市民と交流したり笑顔を見せたりする場面も多く、訪問先に夫人が同行するなど、正日氏の時代にはみられなかったソフトな側面を印象付けてきた。ただ一方で、市民の困窮ぶりに変わりはないとされる。国際支援団体などによれば、栄養失調や強制収容所、脱出を図る者への厳しい処罰など、市民は依然として厳しい現実に直面している。

発射「成功」を喜ぶ金正恩(キムジョンウン)第1書記ら=朝鮮中央通信から

人民軍に対しては、総書記時代の主要幹部らを排除し、代わりに自身の側近を任命する動きもみせた。内部から不満の声が上がることも予想されたが、「先週のロケット発射を成功させたことでポイントを稼ぎ、軍の不満を和らげた」と韓国のアジア太平洋グローバル研究グループ創業者、ジャスパー・キム氏は指摘する。

正恩氏はまた、メディアとのかかわり方でも正日氏とは大きな違いを示している。生放送やテレビ演説も珍しいことではなくなった。

キム氏は「手紙と切手の時代に育った正日氏に対し、正恩氏はグーグルの時代に育った。国際社会に自身の姿を見せれば見せるほど、安全保障や資金など欲しい物を手に入れるのに有利になると認識しているのだろう」と指摘した。

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