ハンセン病患者を支援したマザー・マリアンヌ、聖人に 米国

マザー・マリアンヌ=SISTERS OF ST. FRANCIS OF THE NEUMANN COMMUNITIES提供

2012.10.22 Mon posted at 13:31 JST

(CNN) 19世紀の米国で病院運営の改善に尽力し、ハワイ・モロカイ島のハンセン病患者のために生涯をささげたカトリック修道女、マザー・マリアンヌ・コープが、カトリック最高位の「聖人」に列せられた。21日の列聖式には、最近重い病気から生還し、マザー・マリアンヌの奇跡と認定された米国人女性2人も参列した。

式典でローマ法王ベネディクト16世から聖人の称号を受けた中には、北米先住民女性のカテリ・テカクウィタも含まれていた。過去に聖人となった米国人は10人しかいない。

マザー・マリアンヌは1860年代にニューヨーク州に2つの総合病院を設立し、当時はどこも劣悪だった病院の衛生状態を大きく改善させて評判を呼んだ。人種差別が合法的に行われていた時代に、人種や宗教、貧富の差にかかわらず患者を受け入れるという先駆的な姿勢を貫いた。

1883年、これらの病院を後継者に託してハワイへ渡ったマザー・マリアンヌは、そこでも病院の設立や運営に尽力する。やがて、ハンセン病患者が送られるモロカイ島に骨を埋めることを決意。同島では2009年に聖人となったダミアン神父が医療施設を開設していた。神父はまもなくハンセン病で亡くなり、後を引き継いだマザー・マリアンヌは患者が尊厳ある生活を送れるよう、教育や環境整備に取り組んだ。

ハワイでハンセン病患者を支援したマザー・マリアンヌと他のシスターたち=同会提供

1918年、マザー・マリアンヌが80歳で亡くなると、周囲の修道女らは列聖に向けた手続きを始めた。本人が書き残した文章や周囲の人々の証言を集めて審査を受け、ヨハネ・パウロ2世から「神のしもべ、尊者」の認定を受けた。

さらに聖人の称号を授与されるには、「神のしるし」とされる奇跡が2件、認められなければならない。この過程には何百年もかかるケースが多い。

マザー・マリアンヌの場合、1992年に1件目の奇跡が訪れた。ニューヨーク州シラキュースに住む14歳の少女、ケイト・マホニーさんが、卵巣がんの化学療法による副作用で激しい腹痛を訴え、病院で手術を受けた。手術中に心肺停止に陥り、医師も回復は望めないとの見方を示した。しかし、友人らがカトリック教会に助けを求め、病室を訪れた修道女がマザー・マリアンヌの遺品で少女の体に触れると、マホニーさんは間もなく回復したという。この奇跡が認められ、マザー・マリアンヌは2005年に「福者」の称号を受けた。

マザー・マリアンヌは2005年に「福者」の認定を受けた

さらに同年、シラキュースでもう1件の奇跡が起きた。すい臓の炎症から多臓器不全を起こし、回復の見込みがないと宣告された58歳の女性、シャロン・スミスさんが、友人を通して偶然めぐり会った修道女の見舞いを受けるうちに回復したのだ。修道女は病床のスミスさんの衣服に、マザー・マリアンヌの墓の土が入った小さな袋をピンで付けたという。

2件の奇跡が認定され、法王ベネディクト16世は昨年末、マザー・マリアンヌの列聖を発表した。列聖式に元気な姿を見せたスミスさんは、「私のようなごく普通の人間が奇跡を体験するなんて」と、感激を新たにしていた。

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