英語を好きになる方法

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言葉の意味は文脈という環境で決まる

環境が意味を形成していくという重要なポイントを見逃さないで欲しい。

言葉も同じで、同じ文字でも、使われる場面(=文脈)によって意味が変わる。例えば、”すみません。”という表現ひとつとってみても、文脈がいかに意味を変えるか分かる。ある人は、人にぶつかった時に、謝る気持ちでこの”すみません。”を使う。一方で、人から贈り物をもらって”すみません。”を、ありがとうの意味で使うという人もいる。”すみません。”という記号そのものは同じでも、意図する意味が違っている。だから、文脈抜きに、”すみません。”の意味は何ですか?と問われたら、『使われるシチュエーションによって、意味が違う』という言い方しかできない。意味とは文脈によってはじめて正しく捕まえられるということになる。謝る言葉なのか、感謝の気持ちの言葉なのか。それは文脈に頼るしかないのだ。つまり、環境がこの”すみません。”の記号の意味を決めているのだ。

外国語学習における環境は文化を巻き込む

国が違えども、共通して存在する物や概念がある。例えば月を見て、日本人はうさぎを想像できる一方で、フランス人は月を顔に見立てる。同じ存在物を見ているはずなのに、同じ感じ方をしていないのは不思議だ。太陽も、日本人の子供は赤で描くが、ヨーロッパでは黄色だ。同じ物体を描いているはずなのに、やはり、言語が違えば、物が違って見えている。また、風鈴の音は日本人には涼を感じさせるが、西欧人には何の意味ももたない。視覚も違えば、聴覚も違う。日本人と西洋諸語の使い手は五感の感じ方そのものが違うのだ。

ということは、日本人の世界観ではごく当たり前のことが、英語を使う人にとっては全く当たり前ではない。それが分かれば、世界が180度変わって見えるだろう。日本語の世界で、仮に、あなたがどんなに自分のことをダメな人間だと思っていたとしても、言語が違えば、そうではないという仮説も立てられる。事実、あなたが常識だと思い続けている事が、外国人からしてみたら非常識ということはザラにある。つまり言葉の違う相手からあなたを見れば、あなたは決してダメな人間でも何でもないということになる。勝手に自分で自分の自己評価を日本語の世界だけで貶めてはいけない。外国語というフィルターを通して見る世界は別環境なのだ。

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