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プーチン氏に対抗する秘密兵器、ウクライナの台所にあり

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ドニプロのシェフがザポリージャ州にいるウクライナ軍のために料理をする=11月24日/Dmytro Smoliyenko/Ukrinform/Future Publishing/Getty Images

ドニプロのシェフがザポリージャ州にいるウクライナ軍のために料理をする=11月24日/Dmytro Smoliyenko/Ukrinform/Future Publishing/Getty Images

(CNN) ウクライナの首都キーウ(キエフ)繁華街に点在するオフィスで長い勤務を終えた後、少数の女性のグループが台所へ向かう。彼女たちの夜の仕事はここから始まる。

ミートボール、魚、伝統的なサラダ、ロールキャベツ、自家製のりんごのケーキ、ケシの実のペストリー。夜明けまでには、こうした品々がカウンターからあふれんばかりに並ぶ。

クリスマスが近づくにつれ、季節のごちそうも出てくる。そのひとつが甘い小麦のかゆ「クティア」だ。ウクライナではどの食卓でもおなじみの、伝統的なクリスマス料理12品のひとつだ。

だが、あくまでもこうしたごちそうは特別任務の一環だ。キーウの軍病院にいる負傷兵のために、真心こめて作られている。

今もなおウクライナ各都市ではロシアによる爆撃が続き、愛する者が負傷しても親類は見舞いに行くことができない。そんな中、赤の他人がふるまう家庭料理から、まるで家族のような絆(きずな)が生まれつつある。

2月にロシアの全面侵攻が始まって以来、ウクライナは初めてのクリスマスを迎える。軍事介入が行われた数カ月間、ロシア政府は食糧を武器にしてウクライナ人を攻撃し、1世紀以上も前にさかのぼる暗黒の歴史を繰り返している。

「飢餓による虐殺」

これまでウクライナ全土ではさまざまなものが標的とされた。チェルニヒウではパンの配給の列に並ぶ一般市民が攻撃を受けた。マリウポリでは給水車が爆撃された。ヘルソンでは農家が略奪と破壊の被害に遭った。

ロシア軍は抵抗する者に、罰として腐った食べ物を与えている。ロシア軍に捕らわれていた戦争捕虜は、戻ってきたときには栄養失調状態だった。大量の穀物や機材が奪われた。ロシアが仕掛けた地雷は、ウクライナの農業をこの先何年も苦しめるだろう。

新時代における、昔ながらのやり方だ。食糧による抑圧は、モスクワからの独立を求めてウクライナが味わった長い苦難の集団的記憶に刻み込まれている。そこで語られる物語は、かつては20世紀欧州史の暗黒時代にしか存在しないと思われていた。

当時ウクライナは、凶作、旧ソビエト連邦の無能な計画、2つの世界大戦による荒廃などさまざまな理由で食糧不足に見舞われていた。

1930年代のホロドモールでは、ウクライナ人数百万人が飢餓で亡くなった。平時の大惨事はウクライナの歴史で前例がない/CPA Media Pte Ltd/Alamy
1930年代のホロドモールでは、ウクライナ人数百万人が飢餓で亡くなった。平時の大惨事はウクライナの歴史で前例がない/CPA Media Pte Ltd/Alamy

中でも厳しかったのがウクライナの「ホロドモール」――「飢餓による虐殺」だ。ホロドモールとは、1932~33年にソ連の指導者ヨシフ・スターリンが指揮したジェノサイド(集団殺害)に当たる飢饉(ききん)で、国営集団農場化に抵抗するウクライナへの報復として行われた。

2年も経たないうちに、少なくとも400万人のウクライナ人が命を落とした。追い打ちをかけるかのように、事件を口にしたり殺された親族を追悼したりした生存者も厳しく罰せられた。

抵抗で学んだ教訓

今年11月、ホロドモール90年目の節目はいままでとは違う意味合いを帯びていた。米国のジョー・バイデン大統領や欧州連合(EU)のウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長をはじめとする各国首脳がホロドモールの被害者に追悼の意を表明し、現在ロシアの攻撃と対峙(たいじ)するウクライナ人への結束を改めて表明した。

2014年にロシアがウクライナに武力攻撃を仕掛けて以来、ウクライナでは主権存続の脅威を説明するのに、しばしばホロドモールが持ち出されている。

ホロドモールの記憶は、何世代にもわたりウクライナ人にソ連体制に対して苦々しい思いを抱かせるのと同時に、食糧を神聖化する文化を形成した。また戦時中の厳しい状況を乗り越え、新たなロシアからの侵略者に抵抗するよりどころにもなっている。

ウクライナの村ではごく当たり前だが、都市部でも住民は穀物や油、砂糖の備蓄をする傾向にある。家庭料理のレシピには、野菜や果物、根菜類の保存や発酵に関するものも多い。

小規模な自家農園「ダーチャ」は、現代のウクライナの生活でよく知られる特徴の一つだ。その多くは何世代にもわたり、各家庭のアレンジを加えながら手塩にかけて工夫を凝らされている――それゆえに、ウクライナの村がロシア軍に破壊される様子を目の当たりにした悲しみもひとしおだ。

食べ物を神聖化する文化からは、保存方法についての豊富な知恵も生まれた。ビクトル・ユシチェンコ元大統領もクリスティナ・フック氏との共著で、祖母が余ったぱんクズを保存して屋根裏に貯蔵していたと語った。

解放されたばかりのヘルソンの町でCNNが行った取材の映像も、それを物語っている。1人のウクライナ人女性は一家が生き延びた経緯を説明する中で、スイカの漬物が入った缶を記者に差し出した。これが何週間もの間の唯一の食料だった。他にも、解放されたウクライナ人が食料を手に兵士に駆け寄り、感謝の意を伝える姿が見られた。

ドニプロのシェフがザポリージャ州にいるウクライナ軍のために料理をする=11月24日/Dmytro Smoliyenko/Ukrinform/Future Publishing/Getty Images
ドニプロのシェフがザポリージャ州にいるウクライナ軍のために料理をする=11月24日/Dmytro Smoliyenko/Ukrinform/Future Publishing/Getty Images

ひとつのパンを分け合いながら

ロシアに占領され激しい砲撃に見舞われた地域では、ウクライナ人の頭の中はその日の食料と水を探すことでいっぱいで、1日のスケジュールの大半を占めている。

あるウクライナの住民は、一般人が調理のために決死の覚悟で屋外に出たところ、砲撃に遭って死んだという話を振り返りながら、「ものを口に入れるのに、毎回命がけだ」と語った。別の住民の話では、「朝が始まれば外に出て、何か(基本的な)食べ物を探しに行かなくてはならなかった……そうやって40日間持ちこたえた」

農業経済が伝統として根付いているため、社会生活のリズムは農家の生活と密着している。そのおかげで、ウクライナ人はこうした恐怖や隔絶にも耐えることができた。

この場合、食べ物を分かち合うことは肉体的に生き延びることだけでなく、心理的スタミナをつけるという点でも重要だ。女性たちが小麦粉を持ち寄ってみんなでパンを焼いたという話をしてくれたヘルソン在住の女性はこう振り返る。「互いに助け合うことだけが、占領下で生き延びる力を与えてくれた」

こうした話はホロモドール時代の記憶と呼応する。人為的な飢饉(ききん)を生き延びるために助け合った家族の間には、その後何世代にも続く絆が生まれた。

長期戦に備え

占領下で暮らしているウクライナ人の多くが、ロシアの人道支援を受けることを拒んだ。食糧は一種の抵抗の証しにもなった。

困窮状態にあっても市民はさらに大きな危険を冒し、砲撃のさなかに外へ出て、アパートの敷地内にある粗末な庭に作付けをした。水も電気も、医療や通信手段もない生活だったが、それでもロシアの食料配給を拒んだ。

そうした逸話は、ホロドモール時代の「女性の反乱」を思い出させる。スターリン全体主義が勢いを増す中、村の女性たちは性差による偏見を逆手に取って、集団農場化に激しく抵抗した。

マリウポリで温かい食事を受け取る住民=10月27日/AFP/Getty Images
マリウポリで温かい食事を受け取る住民=10月27日/AFP/Getty Images

ただし、過去の記憶がウクライナの忍耐力を育んできたとはいえ、国際社会はこうした暗黒の歴史が再び幕を開けつつあるという現実から目を背けてはならない。

スターリンによるホロモドール時代の残忍な犯罪が物語っているように、殺戮(さつりく)的な独裁者によって一般市民の人口はあっという間に減り、わずか18カ月で数百万人が命を落とす。

こうした数字から、国際社会は明らかに計算されたロシアの軍事行動への対応に迫られる。ロシアはウクライナのインフラ設備を攻撃し、1000万人に影響を与えている。

厳しい冬を目前に控え、ロシアが水や食料だけでなく暖房や電気までもウクライナから奪おうと画策する中で、「コロドモール」という新たな言葉が生まれた。「寒さによる虐殺」という言葉は、悲しくもウクライナ人の日常会話にのぼっている。

今年のホリデーシーズンが例年と違うことは、ウクライナ人もよく分かっている。残された電力を備蓄するために、イルミネーションは禁じられ、イベントも中止された。サンタクロースに宛てた子どもたちの手紙には「兵士への防護具をください」と書かれ、輪番停電のせいでお待ちかねのクリスマスのごちそうの準備もままならない。

それでもウクライナのクリスマスの食卓には、ウクライナ独自の食文化を守りながら、食べ物が並び続ける――食べ物にこめられた数十年にわたる抑圧と生存、抵抗の歴史とともに。

ウクライナは、可能な限り日常を維持していく術を見つけるだろう。14年にロシアが最初に侵攻して以来、ボランティアの人々は国連教育科学文化機関(ユネスコ)から無形文化遺産に認定されたビーツのスープ「ボルシチ」をフリーズドライにして東部前線に送り届けているのだから。

来年にはウクライナがまったく違うクリスマスを送れるよう、国際的な努力をする必要がある。

オレクサンドラ・ガイダイ氏は、ウクライナ研究所アカデミープログラムのトップで、キーウ・モヒーラ・アカデミー国立大学の歴史学講師。クリスティーナ・フック氏はウクライナ・ロシア関係の専門家で、米ジョージア州のケネソー州立大学紛争管理・平和構築・開発大学院で紛争管理を教える准教授を務め、フルブライト奨学生としてウクライナに渡った経験もある。記事の内容は両氏の個人の見解です。

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