自宅を襲った大地震、いつまでも続く激しい揺れ 記者が目の当たりにした惨状 トルコ

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震源に近いパザルジクで、瓦礫に閉じ込められた人を救出しようとする人々/Depo Photos/AP

震源に近いパザルジクで、瓦礫に閉じ込められた人を救出しようとする人々/Depo Photos/AP

トルコ・ガジアンテップ(CNN) 両親は恐怖で飛び起き、足元で揺れる地面に悲鳴を上げた。私は両親に身を隠せと怒鳴った。「すぐ終わるから、すぐ終わるから」。そう叫んだ私も、いつまでも終わらないような気がしていた。

時刻は午前4時15分過ぎ。私はトルコ南部ガジアンテップの両親の家にいた。最初の揺れを感じた時に、近隣の一帯が真っ暗闇になった。

最初はそれほど不安に思わなかった。またちょっとした地震だと思った。ここでは何カ月かごとに起きるような。しかしその揺れは、ますます強くなっていった。

わずか数秒後、揺れが激しくなって家具が倒れ、物が壊れる音が聞こえた。両親が悲鳴を上げていた。「ドア枠の下から動くな」と私は叫び、落ち着いてほしいと頼んでいた。

その威力は、まるで誰かが私を突き飛ばそうとしているようだった。胸に激しい鼓動を感じた。私は床に倒れた。揺れはいつまでも続き、数分経って、ようやく止(や)んだ。

私たちはパジャマとスリッパ姿で家の外に飛び出した。外は凍えるほど寒く、雨が降っていた。地面には雪があった。近所中の人たちが道路に出ていた。

20分が過ぎ、もう終わったかもしれないと思ったころ、最初の余震が来た。私が数えたのは11回。次から次へと。

私は家の中へ走って戻り、上着とブーツをつかむと車に飛び乗って、建物から離れた広場に移動した。救急車や消防車が、老朽化した建物の多い旧市街へ向かう音が聞こえた。

余震はその日1日中続いた。信じられないほど強い余震もあった。1回は私がひどく損壊した大きなビルの前にいた時に起きた。防犯員がそこにいた全員に逃げろと叫んだ。

全ての通りに全壊した建物

その後私は、震源に近いパザルジク(人口3万5000人)に車を走らせた。まるでアルマゲドンだった。一つ残らずどの通りにも、全壊した建物が1棟以上あった。

住民のシリア人の男性は、自分の隣のビルが倒壊したと語った。建物の中にはまだ誰かが――彼によると女性だった――取り残されていて、救助隊ががれきをかき分けて捜索していた。

私がパザルジクにいた30分の間にも、4回の余震を感じた。ここにいるのは安全ではないと思った私は、車でガジアンテップに戻った。

地面がまた揺れ始めたのはその時だった。ものすごく大きく感じた。誰もが車から走り出た。あまりにも強い揺れだったので、私はほとんど立っていることができなかった。道路脇の側溝の水が、まるで台風のように激しく行ったり来たりしていた。

ガジアンテップから脱出しようとする人たちは、何キロも続く交通渋滞に巻き込まれた。道路には亀裂ができ、幹線道路脇には破損した車があった。

ガジアンテップで私たちは、自宅に比べれば安全なモスク(イスラム教礼拝所)に避難している。市職員が水やパン、温かいご飯を配ってくれている。

また余震があった場合に備え、屋外にいた方が安全だとは分かっている。しかし気温は氷点下に近く、両親を野営させることはできない。

ガジアンテップからエイヤド・クルディ記者がリポート、英ロンドンでイバナ・コッタソバ記者が執筆

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