マデレーン・オルブライト氏が死去、女性初の米国務長官

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オルブライト元米国務長官が死去/Wally McNamee/Corbis Historical/Getty Images

オルブライト元米国務長官が死去/Wally McNamee/Corbis Historical/Getty Images

(CNN) 米国初の女性国務長官で、冷戦後の西側外交のかじ取りに貢献したマデレーン・オルブライト氏が死去した。84歳だった。

遺族は23日の声明で、死因はがんだと明らかにした。

バイデン大統領は長文の追悼文を公表し、オルブライト氏は「力」であり、バイデン氏が上院外交委員会にいた1990年代に協力できたことは上院でのキャリアのハイライトだったと振り返った。

バイデン氏はホワイトハウスを含むすべての連邦の建物で半旗を掲げるように指示した。

クリントン政権の中心人物だったオルブライト氏は米国連大使を務めた後、2期目の同政権で国務長官に就任した。北大西洋条約機構(NATO)の拡大を支持し、ジェノサイド(集団殺害)と民族浄化を阻止するためNATOによるバルカン半島への介入を推進。核兵器拡散の抑制を試み、世界各地の人権と民主主義を擁護した。

クリントン氏は声明で「指導者の中で自らが奉職する時代にこれほど適任だった人物はほとんどいない」と指摘。「戦禍の欧州で幼少期を送ったマデレーンとその家族は2度にわたり故郷を逃れることを強いられた。冷戦終結で世界が相互依存する新時代が幕を開けると、彼女は国連における米国の声となった。その後国務省のかじ取りを担い、自由と民主主義、人権を情熱をもって擁護した」とたたえた。

オルブライト氏は冷戦終結と2001年9月11日の同時多発テロをきっかけとする「テロとの戦争」に挟まれた10年間、米外交の顔を務めた。米国は特にイラクとバルカン諸国で国際的な連合を構築し、独裁政権の打倒を目的とした軍事介入も行った。

オルブライト氏は「現実的理想主義者」を自称し、クリントン政権の外交政策を説明する表現として「積極的多国間主義」という言葉を考案。同氏の発想のもとには、20世紀半ばの欧州でナチスと共産主義から逃れた一家で育った経験があった。

最も注目すべきは、バルカン諸国の暴力に終止符を打つための取り組みだろう。クリントン氏はセルビアのミロシェビッチ大統領(当時)によるイスラム教徒虐殺を防ごうとコソボ介入に踏み切ったが、同氏に介入を促す重要な役割を果たしたのがオルブライト氏だった。

クリントン政権は1995年のスレブレニツァ虐殺でセルビアがイスラム教徒の男性や少年8000人を殺害するまで介入しなかった。しかし、ミロシェビッチ元大統領がイスラム教徒主体のコソボにエスノナショナリズム(民族国家主義)の計画を持ち込もうとした時、クリントン政権はこれを阻止する目的で連合を組織した。

最終的に米主導の連合はセルビア人の侵略を食い止め、コソボは2008年に独立を宣言した。

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