ドイツのアウトバーンはいかにして世界を変えたか

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全国各地をむすぶ「アウトバーン」はドイツを代表する歴史的建造物だ/Sean Gallup/Getty Images

全国各地をむすぶ「アウトバーン」はドイツを代表する歴史的建造物だ/Sean Gallup/Getty Images

(CNN) その高速道路網以上にドイツを体現している歴史的建造物は他にはほとんど存在しない。ケルンの大聖堂は確かに西ドイツを代表しているし、ベルリンにあるテレビ塔はドイツ民主共和国(東ドイツ)の工学技術の偉業だ。しかし、アウトバーンはドイツ全土を結び付けている。

数十年をへて、アウトバーンは、全国規模のインフラの実用的な部品から文化的な偶像へと変化した。アウトバーンは、世界中で芸術作品や音楽アルバム、商品を生み出し、アイリッシュパブの名前にすらなっている。

しかし、なぜアウトバーンはこれほど伝説的な存在となったのだろうか。そして、ドイツの人々は現在、アウトバーンとどのような関係を築いているのだろうか。より重要なのは、アウトバーンでは望むだけのスピードで車を走らせることができるというのは本当なのだろうか。

心もとない始まり

まずは重要なところから始めよう。ナチス・ドイツがアウトバーンを考案したわけではない。そうではなく、第1次世界大戦後にドイツの拡大する各都市をつなぐ高速道路を建設するというアイデアはワイマール共和国で生まれた。この種の最初の公道は1932年に完成し、ケルンとボンを結んだ。この道路は現在も存在しており、アウトバーン555号線の一部となっている。

ヒトラーは1933年に権力を握って以降、アウトバーンを政治的利益のために利用した。フリッツ・トートをドイツ道路建設の監察長官に任命し、アウトバーンの道路網を拡張する仕事を担わせた。

トートは雇用創出プログラムに関与した。ナチスのプロパガンダによれば、このプログラムはドイツから失業者を一掃するためのものだった。アウトバーンで作業する人たちは建設地近くの作業キャンプで生活した。労働者たちはたいてい自発的にやって来たのではなく、強制的な「国家労働奉仕団」を通じて集められた。そうすることによって彼らは失業者のリストから外された。

フランクフルトとマンハイムを結ぶアウトバーン=1935年/Fox Photos/Hulton Archive/Getty Images
フランクフルトとマンハイムを結ぶアウトバーン=1935年/Fox Photos/Hulton Archive/Getty Images

高速道路拡張の実際の結果は不十分なもので、建設は段々と強制労働に頼るようになり、1939年の開戦後は強制収容所の囚人に依存するようになった。

戦況がナチスにとって不利に転じた1942年までに建設が完了したのは、2万キロの計画のうち、わずか3800キロにとどまった。

東対西

東西に国が分断された時代、西ドイツと東ドイツはそれぞれにアウトバーンを開発した/Three Lions/Hulton Archive/Getty Images
東西に国が分断された時代、西ドイツと東ドイツはそれぞれにアウトバーンを開発した/Three Lions/Hulton Archive/Getty Images

第2次世界大戦後、西ドイツの既存のアウトバーンの大部分は修復され、再び使われるようになった。1950年代には拡張計画も始まった。

冷戦の間、高速道路の一部の区間は、ソ連が侵攻して来た場合に連合軍が臨時の飛行場として利用できるよう設計された。

一方、東ドイツでは高速道路は主に軍の交通や国有の製造用車両のために使われた。

分断されたドイツでの高速道路建設で生まれた姿勢の違いは現在にも及んでいる。ドイツの一部の地域では今でも、滑らかな西ドイツの路面から東ドイツのアウトバーンの大部分を形作るのに使われた古いコンクリートブロックへと移る時にその違いを感じることができ、車が段々とがたつき始める。

現在のアウトバーン

現在では、アウトバーンは多くの人々にとって自由の象徴だ/Shutterstock
現在では、アウトバーンは多くの人々にとって自由の象徴だ/Shutterstock

アウトバーンは今では1万3000キロにも延伸し、世界で最も長く、最も密度の高い道路網の一つとなっている。

大部分の区間がそれぞれの方向に2車線か3車線あるいは4車線あり、さらに緊急用の車線も用意されている。

大部分のドイツ人にとってアウトバーンは日々の生活であり、平凡な風景であるが、本当のファンはそのことを大切にしている。ケルンの建築家、クリスチャン・ブッシュさんもその一人だ。

ブッシュさんは「利用者のための注目すべき改善につながる技術的な向上が常にある」と語る。「アウトバーンの建設方法は、工学技術のお手本だ」

最も重要なのはスピード

もちろん、大部分の人がアウトバーンについて知っている(と考える)ことの一つは、運転できる限りの速度で車を走らせることが可能だということだ。驚くことに、これは部分的には真実だ。ケルンとフランクフルトの間のA3号線などの一部の区間には速度制限はなく、運転手にはフルスピードで走る機会が与えられる。

人々の意識

  
      

ドイツの電子音楽グループの草分けである「クラフトワーク」の楽曲「アウトバーン」をはじめとして、アウトバーンがカルチャーの面でもインパクトを残したことは驚くに当たらない。この曲は1975年にビルボードホット100で25位に入った。

この歌はさらに、コーエン兄弟が手掛けたカルトな古典映画「ビッグ・リボウスキ」(1988年)の悪役にも影響を与えた。映画の中には、主要な登場人物がメンバーの「アウトバーン」という名前のテクノポップのバンドが登場する。

アウトバーンから遠く離れたアイルランド・ダブリンでは「アウトバーン・ロード・ハウス・バー・アンド・レストラン」でギネスを飲むことができる。

アウトバーンの未来

アウトバーンを担当する警察部隊も/Shutterstock
アウトバーンを担当する警察部隊も/Shutterstock

現在、ドイツは全国規模での速度制限を設けていない欧州で唯一の国であり、制限速度導入をめぐる議論はドイツの政界では常に注目の話題だ。速度制限導入の要請は1980年代からあり、近年でも増えているが、それはとりわけ、二酸化炭素の排出削減につながる可能性があるからだ。

緑の党は2019年に時速130キロの制限速度を設けようとしたが、法案は否決された。

速度制限があるかないかとは別の課題もある。アウトバーンの気候危機に対する役割だ。将来的には鉄道に置き換わるのだろうか。

交通専門家のアリス・エトロポリツキーさんは「制御された環境」のために使われ続けるとの見方を示す。

人間の行動という意味では、人々はA地点からB地点へと移動するためだけにアウトバーンを利用しており、高度に制御されているという。品物の自動的な輸送というものが近く実現し、続いて乗客の輸送のためのより高度化された解決策が登場する可能性があるという考え方だ。

一方で、クリスチャン・ブッシュさんは「昔からある車の交通の重視と国内に張り巡らされたインフラが代替案の発展を複雑にしている」と指摘。変革が必要だとし、「このシステムは限界に達しており、再考が早急に必要だ」と語った。

アウトバーンはスピードが出る車にとっては天国だ/Shutterstock
アウトバーンはスピードが出る車にとっては天国だ/Shutterstock

今のところ、ドイツの政界や一般の人々はアウトバーンの将来を決めかねている。

しかし、アウトバーンの未来が不透明であっても、アウトバーンがドイツの歴史の中に確固たる地位を築いていることは間違いない。

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