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ジョセフィン・ベーカーさん、パンテオンに埋葬 黒人女性で初

ジョセフィン・ベーカーさんの業績を振り返る

米国生まれの黒人女性で、恐らくエキゾチックなダンスで最も良く知られるジョセフィン・ベーカーさんは、フランスの歴史的英雄たちのイメージとは合致しない。

しかし、11月30日に、米ミズーリ州セントルイス出身のベーカーさんに、フランスで最高の栄誉のひとつが与えられた。フランスの国民的偉人をまつるパリのパンテオンの霊廟(れいびょう)にベーカーさんがまつられたのだ。

ナポレオンの時代にこの伝統が始まって以来、この栄誉が与えられたのはわずか80人しかいない。エリゼ宮(フランス大統領府)によると、ベーカーさんはパンテオンにまつられた初の黒人女性だという。またベーカーさんはこの栄誉を受けた6人目の女性で、その6人の中には科学者のマリー・キュリーや政治家のシモーヌ・ベイユが含まれている。

ダンサーであり、歌手であり、そして戦時中のスパイでもあったベーカーさんは、フランスでは誰もが知る有名人だ。ベーカーさんが露出度の高い衣装を着てダンスホールで行っていたパフォーマンス(たいてい植民地風のアレンジがされていた)は、1920年代の過激な夢想の代名詞だ。

母国である米国ではさほど有名ではなかったが、ベーカーさんはセントルイスでの貧しい生い立ちを誇りに感じていた。後に公民権の熱烈な支持者となり、63年3月にワシントンで演説を行った。

ひつぎには米国やフランス、モナコの土が納められた/Christophe Ena/AP
ひつぎには米国やフランス、モナコの土が納められた/Christophe Ena/AP

フランスのエマニュエル・マクロン大統領は11月30日午後、パンテオンで行われたベーカーさんの埋葬を記念する式典で演説を行った。ベーカーさんの遺体は彼女の親族の希望でモナコに埋葬されたままだが、ベーカーさんにとって大切な場所であるセントルイス、パリ、居住地だったミランド城、そしてモナコの4カ所の土を入れたひつぎがパンテオンに埋葬された。

エリゼ宮によると、栄誉がこのような形で授与されたのは今回が初めてではないという。対独レジスタンスの闘士であるジュネビエーブ・ドゴール・アントニオーズとジェルメーヌ・ティヨンの時も土の入ったひつぎが埋葬された。

またベーカーさんが埋葬された11月30日も重要な意味がある。ベーカーさんは37年のその日にフランスの市民権を得た。

マクロン大統領は11月30日にベーカーさんの生涯をたたえる動画をツイートし、その中で、「(ベーカーさんは)勇気と大胆さを兼ね備え、フランス人はこうあるべきという手本のような人物だった」と述べた。さらにマクロン大統領は、ベーカーさんの普遍主義を求める戦い、戦時下の行動、そして彼女の「絶対的自由」を称賛し、「(ベーカーさんは)非常に刺激を与えてくれる」と付け加えた。

ジョセフィン・ベーカーさんはパンテオンに祭られた6人目の女性となった/Siegfried Modola/Getty Images
ジョセフィン・ベーカーさんはパンテオンに祭られた6人目の女性となった/Siegfried Modola/Getty Images

エリゼ宮によると、式典では軍のオーケストラの演奏や、熱気に満ちた国歌斉唱、さらに子ども合唱団がベーカーさんの歌を歌うなど、フランスの華やかさの特徴が随所に見られたという。

フランスを象徴する三色旗で覆われたベーカーさんのひつぎは、フランス航空宇宙軍の6人の兵士が運び、さらに生前にフランスがベーカーさんに授与した5つの勲章を持った別の兵士が続いた。この勲章の中には第2次世界大戦のレジスタンス勲章や、フランスの最高位勲章のひとつであるレジオンドヌール勲章が含まれている。

ベーカーさんが死去したのは75年だが、マクロン大統領が今、ベーカーさんにこの栄誉を授ける決断を下したことについては賛否が分かれている。

マクロン大統領にとっては、この式典は第2次世界大戦中にナチスの占領に抵抗した人々の誇りの下に国民を結集するとともに、長年パンテオンに安置されている女性、有色人の数が少ないとされている問題に対処するいい機会となった。

ベーカーさんのひつぎを運ぶ兵士らがパンテオンの階段を上っている時、ベーカーさんの祖国である米国とパリへの愛を歌った彼女の代表曲「二つの愛」が流れた。

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