Arts

ゴーストタウンの「美」、撮り続ける写真家たち

打ち捨てられた建物の美に魅せられて作品をとり続ける写真家たちを紹介する

打ち捨てられた建物の美に魅せられて作品をとり続ける写真家たちを紹介する/Noel Kerns

ゴーストタウンに人けがないのには訳がある。近場の石油や金などの貴重な資源が枯渇したかもしれないし、天災や人災かもしれない。

原因はどうあれ、人々が去った後の腐敗や荒廃の情景は、何世紀に渡って多くの芸術家たちを魅了してきた。そして、現代にも見捨てられた都市空間の写真を撮ることに興味を抱く人々が存在する。

今回は、アフリカからアメリカ中西部まで、世界各地のゴーストタウンの写真を撮り続けている4人の写真家をご紹介する。

ノエル・カーンズ

米テキサス州ダラスを拠点に活動するカーンズ氏は、2007年に「ライトペインティング」という技法を学んだ。これは人工照明や長時間露光を取り入れることにより、夜間でも色彩豊かな写真が撮れる手法だ。それ以来、カーンズ氏は米国内のゴーストタウンにある打ち捨てられた住居、教会、学校の写真を撮り続けている。

カーンズ氏の写真を見ると、所有者から見放され、荒れるに任せた建物の窓や戸口が赤や青の照明で照らされ、まるで家が内側から発光しているように見える。

ロマン・ベイロン

フランス人写真家ロマン・ベイロン氏は、幼少時代から放棄された空間に魅了されてきた。現在ベイロン氏は忘れ去られ、荒廃した場所を中心に、それらの美しさを写真に収めている。

かつてダイヤモンドの採掘で栄えたナミビアの町、コールマンスコップでは、砂が建物の再生に一役買っている。1908年に設立されたこの町は、間もなくその地域の中心地となった。言い伝えによると、かつてこの地はダイヤモンドが非常に豊富で、夜に砂の上をぶらぶらと歩くだけで、月明りの下で輝くダイヤモンドを発見できたという。

しかし、第1次世界大戦後にダイヤモンド価格が下落し、さらに南部により大きな鉱床が発見されたため町を離れる人々が続出。1956年までに、町に住む者は誰もいなくなった。現在、少人数の団体旅行客が毎日、昼頃に訪れるが、ベイロン氏によると、町の大部分は静かで人けがないという。

セフ・ローレス

地元の言い伝えによると、オクラホマ州北東部の町ピッチャーが誕生したのは、全くの偶然だったという。1914年、ミズーリ州ジョプリンのピッチャー・リード・カンパニーがオクラホマ州のある現場に機器を運ぶために従業員を派遣した。しかし、従業員らが乗ったトラックがぬかるみにはまり、立往生した。彼らが退屈しのぎに地面にドリルで穴を掘ったところ、なんと亜鉛と鉛の巨大な鉱床を発見した。同社は現地に工場を建て、新しい採掘場の周りにピッチャーという町が誕生した。

1920年代まで、ピッチャーは米国最大の鉛と亜鉛の産地となり、第1次、第2次大戦で使用された銃弾に使われた大半の金属の供給源となったが、1960年代に鉱床が枯渇し始めると大半の企業がピッチャーから撤退した。しかし、町が滅んだのは企業が撤退したからではない。採掘の結果、多くの住民が極めて重篤な鉛中毒を発症し、住民のがん罹患(りかん)率も急上昇した。米国環境保護庁(EPA)は、ピッチャーの町とその周辺地域を米国で最も汚染された地域に指定した。米政府は2005年に住民が住んでいた家屋の買い上げを開始し、2009年に町を永久に封鎖した。

米国人の報道写真家セフ・ローレス氏は、これまで何度かピッチャーに足を運んだが、町は現在も封鎖されている。町の大部分の地下で大規模な採掘を行ったため、地面が不安定になり、崩落の恐れがあるためだ。

ローレス氏の写真には、ひびの入ったアスファルトの道路沿いに老朽化した家屋がわずかに立ち並ぶ荒れ果てた町が写っている。空は低く暗い雲に覆われ不気味だが、荒れ果てた建物の内部もそれに劣らず世界の終わりを連想させる雰囲気だ。部屋には前の住人が残していった明るい柄の服が吊るされたままになっており、立ち退き料を受け取って町から退去した住民らを思い出させる。また、見捨てられたとある家の前庭には、籐(とう)椅子が1脚だけ残されている。

ローレス氏は、自分の写真がきっかけとなり、この廃墟により多くの注目が集まることを期待している。

ヴァレリー・アネックス

1990年代半ばから2000年代後半まで、アイルランド経済は急成長を遂げ、その猛烈な成長ぶりから「ケルトの虎」と呼ばれた。特に活況だったのが住宅市場だ。かつてないほど多くの住宅が建設され、国民1人当たりの住宅着工件数は米国の4倍に上った。しかし、2007年に状況は悪化し始める。住宅バブルがはじけ、田舎の安い土地に建てられた住宅は売れなくなり、中には投資家が資金不足に陥り、未完成のまま放置されたプロジェクトもあった。

アイルランドでは、各地に数千件ものいわゆる「ゴーストエステート(幽霊不動産)」が散見されるようになり、2011年までにその数は3000件を突破した。これらの住宅開発プロジェクトのうち、半分まで完成もしくは居住者のいる状態だったのは621件だった(2017年の報告書によると、その後、その数は激減した)。スイス生まれで、現在はドイツのベルリンを拠点に活動する写真家兼映画制作者のヴァレリー・アネックス氏は、2010年に祖母の自宅を訪れた際にこの現象を初めて目の当たりにした。

翌年、アネックス氏は3週間かけてアイルランド北西部をドライブしながらゴーストエステートの写真を撮った。決して楽しい体験ではなく、「不気味で怖かった」とアネックス氏は当時を振り返る。

しかし、当時、一部のゴーストエステートには住民が存在した(現在も存在する)。彼らは住宅バブルのピーク時に住宅を購入し、今となっては購入価格を大幅に下回る価格でしか売却できない。アネックス氏は写真を撮っている間、多くの住民に出会ったが、彼らを写真に含めることはなかった。その理由についてアネックス氏は次のように述べている。

「これは人々のために作られたシステムではない。(ゴーストエステートは)資本主義経済が過熱し、信用が膨張している時の1つの症状だ。これらの住宅に実需はなく、誰かのために作られたわけではない」

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