ソ連版超音速旅客機「コンコルドスキー」、なぜ短命に終わったのか?

2018.01.02 Tue posted at 11:43 JST

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(CNN) 超音速旅客機コンコルドのライバルであった旧ソ連のTu144。1971年のパリ航空ショーで初めて国外にお披露目された際には、誰もが感銘を受けた。超音速旅客機の開発競争が過熱するなか、スタートで一歩抜け出したのはソ連だった。

ツポレフ設計局のTu144は英仏が共同開発したコンコルドに非常によく似ていたため、必然的に「コンコルドスキー」とのあだ名を付けられることとなった。

航空宇宙分野でのソ連の実績は尊敬に値するものだった。ソ連はこの年、初めて火星に探査機を着陸させたほか、初の宇宙ステーションも打ち上げていた。超音速旅客機の開発で西側諸国を打ち負かす構えは万全であるかのように見えた。

だが、欠陥と不運が重なった結果、コンコルドスキーは間もなく民間航空分野で最大規模の失敗に陥ることになる。

歴史に名を刻んだのはコンコルドの方だが、Tu144は2度にわたりコンコルドに先んじて空に飛び立った。初飛行は1968年12月31日。コンコルドの2カ月前だ。さらに69年6月には、ライバルより4カ月先に初の超音速飛行を行った。

民間航空がプロペラ機からジェット機に移行し始めたばかりの当時、コンコルドとコンコルドスキーは明らかに時代に先駆けていた。ただ、両機は驚くほど似ていたことから、長年にわたりスパイ疑惑をかき立ててきた。

ソ連航空の専門家、イリヤ・グリンバーグ氏は「ツポレフ機のデザインはスパイ行為の結果として生み出されたものではなかった。両機は似ていたが、多くの異なる側面を持つ別の航空機だ」と指摘する。

ツポレフ機はコンコルドよりも若干大きく、速度もやや上回っていた。だが、最も特徴的なのはコックピットのすぐ背後にある小さな翼「カナード」で、これがさらなる揚力を生み出し、低速度での操縦性能を向上させていた。

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