ビンラディン容疑者巡り報告書、潜伏生活の全容明らかに

ビンラディン容疑者の死亡を伝えるパキスタンの新聞=2011年5月3日

ビンラディン容疑者の死亡を伝えるパキスタンの新聞=2011年5月3日

ビンラディン容疑者がパキスタンで逃亡生活に入ったのは、2001年9月11日に起きた米同時多発テロの1カ月後。アボタバードに落ち着く05年までの間は南部から北部へ、街から街へと移動を続けた。

妻の1人はこの間に4回出産し、そのたびに土地の病院にかかった。パキスタン人が話すウルドゥー語でなく、アラブ語を話すことが発覚すれば怪しまれるとの家族の判断で、医師の前ではろうあ者を装ったという。

北西部スワート渓谷に滞在した時期には、人相を変えるためにひげをそっていた。協力者らは、住民が「アラブ語を話す背の高い男」について尋ねることを許さなかった。

スワート渓谷で同容疑者を乗せた車が警察に止められたこともある。運転手は素早く対応し、車内をよく見られないうちに走り去った。

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