(CNN) ハンガリーの国民的スパイスであり、同国の伝統料理作りに欠かせないパプリカ(唐辛子)が危機に瀕している。
世界中のバイヤーがスペイン、中国、南米産の安いパプリカを求めているため、ハンガリーのパプリカ生産が落ち込んでいる。
またハンガリーはここ2年間、予想外の悪天候に見舞われ、今年のパプリカの実の収穫量は過去50年間で最低となる恐れがある。ハンガリーがパプリカを輸入に頼るというまさかの事態もありうる。
これらの苦難に加え、過去にも共産党政権がパプリカ生産を国営化するなどの混乱があったが、パプリカは今でもハンガリー人にとって欠かせない香辛料だ。
ハンガリー人を理解するには、彼らの好きな食材について多少知っておく必要がある。雨の午後、ブダペストのグーラッシュ(パプリカで風味を付けたハンガリー風シチュー)のレストランに足止めされても、以下に挙げたパプリカの知識があれば話題に困ることはないだろう。
1.メキシコが原産
まず、パプリカはメキシコ周辺が原産で、欧州原産ではない。15世紀に探検家のクリストファー・コロンブスがメキシコ南部、中米、アンティル諸島を探検した際に集めた宝の中にパプリカが含まれていた。
その後しばらくして、バルカン半島を経由してハンガリーに伝わり、貴族らが菜園で栽培を始めた。
パプリカの名前の由来はスラブ語で唐辛子を意味する「Papar」だ。
2.2つのパプリカ博物館
ハンガリーにはパプリカにちなんだ2つの祭りがある。1つはブダペストの南約120キロに位置するカロチャの祭り、もう1つは1世紀以上前からハンガリーのパプリカ産業の中心地であるセゲドの祭りだ。
また2つの博物館は、どちらも現在稼働中の生産工場でもある。
セゲド・パプリカ博物館は、サラミ工場と同じ建物にあり、来館者は3種類のサラミと10グラムのパプリカを試食できる。
またロスツクの村にあるパプリカ・モルナーの工場では、同社の最高経営責任者(CEO)のアニータ・モルナー氏が自らツアーガイドを務め、ツアー参加者にはパプリカのサンプルが提供される。
乾燥させたパプリカの実は、見た目が赤いポテトチップスに似ており、ポテトチップスと同じように食べられるため、工場を訪れた子どもたちに大人気だ。
3.ハンガリー産パプリカは非常に甘い
パプリカを種から栽培し、香辛料に加工するのに7カ月かかる。涼しい気候で育ったハンガリー産パプリカは糖分を多く含んでおり、他国で栽培されたパプリカに比べて甘みが強い。
また気候はパプリカの色にも影響する。「ペルーや中国西部など、より温暖な地域では、日光のせいでパプリカは濃い赤色になる」とモルナー氏は語る。
「パプリカは糖分が低いほど赤みが増す」(同氏)
4.ケーキにも使える
ハンガリーでは、20世紀末にセゲドだけで830のパプリカ工場があったが、ハンガリー人の植物学者が自然な甘さの新種パプリカの栽培に成功し、大規模栽培が可能になったため、それまで手作業で栽培していた生産者らは職を失った。
安くてボリュームがあり、パプリカがたっぷり入ったハンガリーの伝統料理グーラッシュは、もともと農民の料理と考えられていた。
しかし、パプリカはグーラッシュだけでなく、他の料理にも合う。パプリカ産業の中心地セゲドにある魚料理専門のレストラン「Sotarto Halaszcsarda」では、多くの料理にパプリカが豊富に使われている。
またブダペストにある富裕層向けレストラン「Zeller」もパプリカをふんだんに使ったさまざまな料理が大好評を博している。
さらに、甘みの強いハンガリー産パプリカはデザートにも使われる。
「パプリカが普通の料理だけでなく、菓子にも使われることはこの私ですら知らなかった」と語るのは、ハンガリーの料理専門のライターでシェフでもあるラヨシュ・コッサー氏だ。
「その後、私は祖母が作ったパプリカケーキを味わった」(コッサー氏)
5.外貨獲得の手段
第2次世界大戦後、ハンガリーのパプリカ生産は当時の共産党政権によって国営化された。パプリカの生産者らは、パプリカの実を自ら香辛料に加工することは許されず、栽培した実を国営工場に引き渡さなければならなかった。
「私の幼少期に世話をしてくれた老婦人は、パプリカ2キロを販売した罪で捕まり、4カ月間投獄された」とモルナー氏は語る。
「パプリカは(共産党政権にとって)外貨獲得のための重要な手段だった。毎年ドイツマルクやドルを獲得するため、数千トンのパプリカが輸出されていた」(同氏)
6.ビタミンCが豊富
ハンガリーの科学者アルベルト・セント=ジェルジは、ビタミンCの発見などにより、1937年にノーベル生理学医学賞を受賞した。またパプリカがビタミンCを豊富に含んでいることを発見し、人々が壊血病で苦しむ国や地域にパプリカから抽出したビタミンCの結晶を送った。