日本・ブラジル文化の懸け橋 サンパウロの日系移民

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リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている

リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている

(CNN) ブラジル、サンパウロ市内のリベルダージ地区では、通りに神社の赤い鳥居が並び、日本語の広告を掲げるレストランやスーパーも多いため、まるで東京の繁華街を歩いているような気分になる。

リベルダージ地区は世界最大の日系移民コミュニティーの中心地で、ブラジルに住む日系人180万人のうち60万人がここで暮らしている。

日本での貧困や失業から逃れ、1908年にブラジルにやって来た最初の日系移民たちは、奴隷制廃止後、深刻な肉体労働者不足に陥っていたブラジル南部のコーヒー農園に向かった。そこで彼らは、かつて奴隷たちが使っていた施設に住み、マラリアなどの治療法が分からない未知の病に悩まされ、全く異なる文化に適応しなければならなかった。

しかし、日系移民たちはそうした初期の困難を乗り越え、農業、文化、芸術など、あらゆる分野でブラジル社会に多大な貢献をしてきた。

今回、CNNは世代の異なる3人の日系移民の方々に、日本の伝統や自分が日本人であることがブラジルでの生活にどのように影響してきたかについて語ってもらった。

「自分は完全なるブラジル人」 上原幸啓教授

上原幸啓さん(85)は、9歳の時、第2次世界大戦の脅威が迫る日本を離れ、ブラジルにやってきた。

上原さんは幼い頃、昼間は綿畑で働き、午後は4キロ離れた学校に徒歩で通った。上原さんはポルトガル語が全く分からず、強い日本語訛りで話し出すと友達にからかわれた。その悔しさから、一生懸命勉強して1番になろうと決意したという。

現在、サンパウロ大学理工学部の名誉教授で世界的に有名な水理学エンジニアでもある上原さんは、国連教育科学文化機関(UNESCO)のブラジル代表を務める。また、ブラジルの大規模な水力発電ダムの建設にも携わった。

上原さんは、自分は完全なるブラジル人だと語る。幼い時にブラジルに渡ったので、ブラジルの文化にも容易に適応できたという。

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