米軍部隊、日本本土初攻撃の記憶<3> 過酷な作戦の始まり

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コール氏らを乗せ東京に向けて飛び立つB25

コール氏らを乗せ東京に向けて飛び立つB25

米ジョージア州ハウストン郡(CNN) トンプセン氏によれば、空母から離陸する際に操縦士にとって最もリスクが高かったのは、低速度でのエンジンの動作不良だったとみられる。機体の制御を失い空母上の構造物に突っ込んでしまう恐れもあったという。

前回「日本本土初攻撃の記憶<2> 多機能・重武装の『B25』」はこちら

B25は通常、約2000フィートの滑走路を必要とする。だが空母ホーネットの甲板には離陸までの距離が300フィートしかなかった。それでも驚くことに、訓練を積んだ操縦士らはわずか250フィートの滑走路でも離陸できるようになっていた。

日本への空襲に向かう艦上、同乗するドゥーリトル氏とコール氏らは離陸信号が出たことを受け、事前にエンジンを高速回転させた状態でブレーキを切り、空母の端まで滑走した。数秒後、機体は宙に浮いていた。

コール氏らを乗せた機体はホーネットの上空でいったん旋回した後、日本に向かった。すぐに残りの15機も後に続いた。過酷な作戦の始まりだった。

コール氏は「(無線の届かない空域を飛行するため)文明から切り離されてしまったと思ったことを覚えている」と振り返る。「少しだけ怖かった」というが、隊員らは任務に全力を傾けていた。後戻りはできなかった。

探知されるのを防ぐため、レイダーズの隊員らは太平洋の海面に極めて近い高度を飛行した。ミスなどが少しでもあれば海中に墜落する恐れもあった。

次回「米爆撃機、日本本土初攻撃の記憶<4> 任務完遂もさらなる試練が」は12月11日公開

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